努力の基準

高校生の時、自分は陸上競技に対して日本一努力しているつもりでいてその結果、インターハイ3番だった。3番だったけれど、努力は日本一だと本気でそう思っていた。

しかし、大学に入るとそこには陸上競技が大好きな連中ばかりで自分よりも努力出来る人がたくさんいた。
大学に入って直ぐ怪我をして、結果が出せず自信を失っていたのもあるが自分は努力出来ているのかわからなくなってしまった時があった。どうしても練習量が多く、遅くまで練習している人が努力しているように思えてしまう。自身の取り組みに納得が出来ない状態だった。

自分は、どうも練習量に頼る努力は向いてない気がしていた。怪我が多かったこともあって、全体練習後に残ってまた走るみたいなことはしたくなかった。けれど、仲間が残って走っている姿を見るとこれで良いのだろうかという疑問が生まれてしまう。

それから時が経って、何きっかけかは思いだせないが他人との比較ではなく自分の心の声に対して後ろめたさがあるかないかで判断する様にしていった。自分が今日はやったと納得していれば十分で、そうでなければ残ってやる。他人との比較は出来るだけやめた。

最近、人間ってよく出来てるなって思う。仕事も陸上競技の練習も手を抜けば必ず心に引っかかりが残る。自身の心の声に素直になれば必ずその引っかかりに気づく。自分に嘘をつき周りにやっている感を出すパフォーマンスをしていても自身はわかっている。やり切れていないことに。努力の基準は先ずは自分の心の声に。その後、他人であろう。

そういう自分は今、やり切れていない。大学を卒業してからほとんど。その結果が14秒2なんだと思う。

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この記事を書いた人

名前:深川 貴司/ふかがわ たかし
年齢:35歳
専門:110mh
ベスト記録:14.06
出身大学:順天堂大学
経歴:都立学校教員(6年)、現在はプログラマー(web系)へ転職💻
福岡在住

主な成績:全国高校総体(インターハイ)3位。関東インカレ3位。全日本インカレ6位。日本選手権出場。

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