takashi について

ベストタイムは14秒06。目標は13秒台を出し、日本選手権で勝負する。中学生、高校生に役立つことを書けたらと思います。練習に関して質問等ありましたらコメントをよろしくお願いします。また、意見やアドバイスをいただけると嬉しいです。

陸上競技 練習メニューの作り方

30近くまで陸上競技を続けると、当然練習内容はそぎ落とされシンプルになっていく。
シンプルになり、今日は何をするのかがはっきりとわかりやすい練習メニューになっていく。
例えば、先週の土曜日に行ったのは200m×7。一本のタイムは26秒5。レストは7分。
今日のメインはこれ。これを頑張るだけという感じだ。だから、ウォームアップもそれに向けて身体を温めて動きを整えるだけだ。
メインが終わればそれ以外は何もしない。
練習時間はすべてで、2時間以内だ。
今は、筋トレをする日は筋トレをするだけ。走る日は走るだけという風にわかりやすくしている。
そうでないと、気持ちも集中力ももたない。
今日は何を頑張るのかそれを、明確にした方が練習の効果が上がるという考えはありだと思う。

中学生、高校生のメニューをのぞくと(競技場で)とにかく内容が豊富だと感じる。
当然、経験がない分、いろいろやらせることはポケットから出せるものを増やすという観点からみて重要なことであるとは思う。
しかし、それらをやろうとすると一番重要な今日のメインが何だったのかよくわからなくなるに加え、集中力も切れてしまう。
結局、動きつくりは所詮ウォームアップで、そこに時間をかけても足は速くはならない。重要な練習にしっかりとスポットを当てて、そこに練習のピークをもってくる工夫が必要だと思う。

また、特に中学生、高校生の段階でそれほど陸上競技が好きな人は少ない。2時間以上、集中して練習なんてほぼしない。
その中で、効果を出そうとするならば、今日は何を頑張るのか、わかりやすく、目立つようにしてそして、だれる前に素早くやってしまうことだと思う。

2019.1.12.Sat トレーニング内容

最近は、前回の記事でも取り上げたJ-Shiraさんに作ってもらっている練習メニューを今回も行った。(作ってもらっているのは友達)

メニューは、200m×7。間のレストは7分。一本のペースは26秒5程度。ちなみに、友達の実力に合わせて作ってもらっている。友達の最近の100mは10秒7~8。(間違っていたら申し訳ない)

なにをしているのかというと、とにかく体内のエネルギーを枯渇させて出し切る練習。そして、間の7分で回復。また、200mで枯渇。7分で回復。200mで枯渇。みたいな感じで短距離的なエネルギーを枯渇させる。枯渇させると、体内でそれを補おうとミトコンドリアとかそういう体内のエネルギー生成の機能が向上するらしい。運動生理学の話に基づいて詳しく説明することができないが、こういうトレーニングが短距離選手には必要みたいだ。

間違っていると、いけないが要はたらたら走るのではなく、1本でエネルギーを枯渇させるくらいの距離とスピードで走り切る内容の走りが大切ということだと思う。

走りは変わり続ける。

この間、J-Shiraさんの、短距離走の科学的トレーニングに関する勉強会に参加して、自身の走りが変わった。
先ず、この勉強会に参加して考えたことは、走りの科学的研究はこんなに進んでいるのかという衝撃だった。もはや、大学生の時に、一般的に言われていたことは間違いだらけと言ってよいほどだった。
そして、案外、感覚的にやってきた練習は間違っていないことも事実だった。科学的な根拠に基づいたわけでなく、長い間、自身と向き合い、トレーニングを続けた結果、こういうトレーニングが効果的だと感じてやっていたことは科学的に見ても正解であった。だから、自身の感覚は大事にしつつ、科学的な根拠に基づく内容の二つが大切だと感じた。

講義は約3時間あり、強烈なほど学ぶことが多かったのだが、その中でピンと来たのは接地に関する話しだった。正確には接地とストライドの関係も含めるのだが、基本的に地面に下す足は何もせず、そのまま下に下すだけ。という話しだ。それが理想で、それ以上何をやってもトータルで考えるとあまり意味がないし、マイナスに働くことさえある。

それから、走る時はすぐ下すことだけを考えると、今まで何十年走り続けた中で一番ストレスなくサーっと走れている感覚を覚えている。そして、長年続いていたアキレス腱の痛みも強く出なくなった。まさか、まだ走りの中でこんな新しい発見があると思っていなかった。

よく、陸上競技はただ走るだけだと思わがちだ。けれど、昨日と今日で走りは微妙に変わっていて、毎日、真剣に走っていれば何か小さな発見や変化に出会う。首の角度、腕の振る位置、骨盤の角度、いつもそんなことを考えて走っているからただ走っているだけでなく楽しい時も多い。だから、走りは変わり続けると思った。ありがとう、J-Shiraさん。

バリスティックトレーニング(爆発的な筋力発揮を促すトレーニング)

バリスティックトレーニングとは、爆発的な筋力発揮を促す、身につけるためのトレーニングのことだ。

一般的に、ほとんどの競技は、一瞬の短い時間で大きな筋力を発揮しなければならない。短距離走は特にそうだろう。スピードというものが求められる競技はほとんどがそうなるだろう。

競技能力を向上させるためには、筋力の向上は欠かせない。これはもう、絶対条件だろう。ならば、筋力向上させるために、スクワットやデッドリフト、ベンチプレスをやるだけでよいかというとそれでは、それを効率的に競技につなげることは難しい。

向上させた筋力を競技に近い筋力発揮に近づけるために効果的な手段の一つが、バリスティックトレーニングだ。
いくつか、あげてみよう。
メディシンボール投

負荷なしであれば、垂直跳びや立幅跳び。
本当は、動画をもっと載せたかったのだが、ないので今回はこれだけ。また、撮り次第載せます。

どうなりたいかについて考える。

「どうなりたいか?」について考えることが自分の人生の目標を決める上で大切なのではないかと今、考えている。

最終的にどうなりたいか?について何度も考えてみる。
何になりたいか?(職業)は割と簡単にでてくると思う。けれど、何になりたいか?ではなく、どうなりたいか?まで考えることが必要だと思う。自分の人生をより、満足したものにしたいのなら。

何になるか、何の職業に就くかは、どうなりたいか?になるための手段だということだ。職業の選択は、最終的にどうなりたいか?の手段であるという風に考えることができる。

例えば、なりたい自分がお金もちになりたいとする。その場合、公務員ではダメで日本を代表する企業であるトヨタの社員でもダメなのだ。
例えば、安定してお金が入ってきて、家をもち家族を養い、生活していく人生を歩む人になりたいと思うなら、公務員でもいいし、トヨタでもいい。
例えば、広く世の中に影響力を与え、たくさんの人に称賛され社会で活躍する人になりたいと思うならば公務員では難しいし、会社員でも難しいかもしれない。
例えば、経済的にも時間的にも自由を手に入れ、好きな時間に好きなことができる人になりたいと思うならば、公務員でも会社員でも、医者でも難しいだろう。

何になりたいかは、自身の気持ちの表面的な部分の気づきにすぎず、そのもっと奥深くにはそれを通じてどうなりたいか、どういう想いをしたいのかがあると考えている。

自身のことを書くと、自身は陸上競技選手になりたいと思っていた。確かに、走るのは大好きで楽しいと思っている。しかし、中学、高校、大学時代を振り返り、今の自分の気持ちと向き合うとあることに気がついた。自身は、陸上競技選手になりたかったのではなく、陸上競技選手を通じて、多くの人に称賛され、目立ち、優越感を抱き、広く社会に影響力や発言力をもつ人になりたかったのではないかと思った。
だから、陸上競技選手になることが難しいと感じてから競技への熱意が少しずつなくなっていた。
※それでも、陸上競技に携わっているとき、走っているときは楽しいと思っている。

どうなりたいかは、人それぞれ違う。それでいいと思う人もいれば思わない人もいる。自身も明確にこうなりたいを見つけられていない。
まだ、人生の目標や夢をみつける方法はよくわからない。けれど、どうなりたいか?について考えることは大切なことだと思う。

陸上競技選手である自分のその先を考えよう。

陸上競技を始めたのが、中学生。それから高校、大学、卒業後も陸上競技中心の生活を送ってきた。自身の人生において、最も時間をかけ、情熱を注いできたものは陸上競技だ。
高校時代、とにかくインターハイにでたかった。そして、本当に高校生活が終わったら人生が終わりでもいいって思いながら陸上競技に取り組んできた。
しかし、今、30歳を目の前にして後悔していることがある。それは、陸上競技選手としての人生が終わった時のその先を考えようとしなかったことだ。

陸上競技を頑張ることが素晴らしいことだ。足が速くなることは素晴らしいことだと思う。そこから学ぶこと、その先の人生に役に立つことも多くあると思う。しかし、陸上競技選手になりそれで飯が食べられるのは全体の1%以下だろう。つまり、足が速いことはその先の人生では何の役にも立たない。
だからこそ、その先の人生のことをせめて高校生くらいから考える必要があると思う。

人生は終わらせようとしなければ終わらない。競技者としての人生が終わったあとにも、大きな夢や目標をもち、それに向かって努力できる人生にするために、考える必要がある。

そのために、考える第一歩は「どうなりたいか」について考えることだと思う。「どうなりたいか」について考えることを次回は書こうと思う。

足が速くなる方法

足が速くなる方法を考える。
短距離走が速くなる方法を考える。10何年、走り続け、多くの人の話を聞いて短距離走が速くなるための練習として、抑えとかなければならない要素がいくつかある。それを、今回は書いていこうと思う。

その1、
短距離走が速く走れる身体になること。(見た目から近づける)
どうすれば速く走れますか?足が速くなりますか?と聞かれるが、まずは、走れる身体になってくださいとしか言うしかない。太っていればやせる、痩せすぎなら太って力をつける。日本、世界のトップランナーの身体の形態に近づくよう肉体の改造が必要だ。あくまでも、短距離走者に近づけなければ意味はない。砲丸投選手の形態ではなく、長距離選手の形態でもなく、短距離選手の形態に近づく努力をすることだ。

その2、
ダッシュ練習をすること。(短い距離を本気で走る)
トレーニングの原理・原則には特異性の原理がある。それを鍛えるには、それを鍛えるためのトレーニングが必要という理屈だ。
例えば、長い距離を走る練習をたくさんやれば長い距離を走る力が向上する。この場合、少しは短距離走も速くなるが・・・
また、いわゆる流しのスピードで200mや300mを10本走る練習をやればそれをできる力が身につく。真に短距離走の向上をねらうならば、例えば30m、50m、80m、100m、120mのような短い距離のダッシュ練習を本気で走り込む練習をしなければその力は向上しない。

その3、
肉体のスペックを上げること。(スペックという言葉の表現が正しいかはわからないが、身体の規模を大きくすること)
ある程度、速く走れるようになってきたら、筋力を上げて身体を大きくしなければならいないと考えている。この場合、その1に書いたように、短距離選手としての身体に沿うことが必要だ。陸上競技、短距離走にはこれといった技術や技能、戦術はない。階級制でもない。自身は、速くなるには筋力を強くして肉体のスペックを上げる以外ないと考えている。速くなるということは、変化するということ。何が変化したか、それは肉体であることが多いし、自身もそれを実感している。

教える指導者か、教えない指導者か・・・?

一般的に教える指導者とは、指導熱心で、細かく練習メニューを与え、指示やアドバイスをたくさんくれて、心の拠り所としても大きな存在になる人ではないか。
一方、教えない指導者は自分が定義するに、放任主義(自由気ままにやらせて、干渉しない主義)の人だと考える。

どちらがよい指導者かと聞かれると、前者のような気がするだろう。自身の高校時代の指導者はというと、間違いなく後者だった。
練習メニューは出てるようで、出ていなくて、その日の体調や調子で内容を変えてもあれこれ言われることはなかった。大会前の調整は、入学した時から、自由にやれと言われただけで、指示は一切出さなかった。
高3のインターハイ前の1ヵ月間は、全部、自分で考えてやっていいと言われて、全部自分で考えて練習をさせてもらった。その時は、もう自身で考えてやる習慣が身についていたので、そういわれた時、やったーと思った。

当時、周囲の学校の先生からは全く生徒を見ていないとか言う声を、ちらほら聞いたが自身としては何の不自由さも感じなかった。むしろ、こんなにいい指導者はいないと思っていた。なぜかというと、なにも言わなかったが、顧問の先生には間違いなく陸上競技への熱意が感じられたからだ。練習場所も確保してくれたし、道具もたくさん揃えてくれた。だから何の不満もなかった。わけではないが、よかったと思っている。

結果、何がよかったか、それは自身で考えてやる力が身についたことと、自分を救うことができるのは、ほかの誰でもなく、自分自身だけだという考えというか、覚悟を身につけることができたことだ。

先ず、最初の自身で考えでやる力とは、調べる力や試行錯誤する力だ。当時は、練習メニューやハードリングの技術向上、トレーニングの方法をインターネットや本、先輩や友達などを使って徹底的に調べた。そして、それをグラウンドで試した。また、ビデオも撮って何度も見て、研究した。ものすごく、面倒見のいい指導者がいて、いつもアドバイスをくれたらきっと、これほど自身で考えてやらなかったと思う。

次に挙げたことは、頼らない姿勢だ。やれ、指導者がとか、環境がとか言いたくなる。けれども、自身の人生を切り開くのは、自分だけだと思えれば、ふーん、それがどうしたと思えるし、周囲に期待しない、頼らない姿勢ができる。そうすれば、どこでも、強くなれる。つまり無頼って感じだ。何が言いたいかというと、指導者や環境の質にあまり文句を言わなくなることだ。また、単独になっても、一人でもやっていこうとする生き方ではないか。

所謂、教える指導者と教えない指導者はどちらがよいかという問題は、一概に言えないし、永遠の問題だと思う。後者の指導者は数としては少ないし、そのよさを実感できる人も多くはないだろう。なぜなら、教えてくれる人の方が、いい人に感じるからだ。

自身はどう考えるか、前に友人に、結局、自分が受けた指導を生徒にもするようになるよと言われた。なるほど、その通りだなと思った。おれがいいと思ったことは、確かに、次の世代の人にも教えるなと思う。だから、自身は、後者指導者がよい指導者だとおもう。

部活動の面白さ

思い返すと、特に高校の部活動はすごく楽しかった。なぜ、楽しかったか、それは主体的で創造的な学びができたからだと思っている。

自身にとって、一番苦手な学びは一般的な講義形式なものだ。先生が前にいて、机があって椅子に座ってそれを聞くかたち。
たとえ、好きな内容でも楽しいとは思わない。

楽しい、学びとは主体的で創造的に動ける要素が多くある必要があると感じる。だからこそ、部活動では、生徒の考えや意見が反映される隙間を適度につくっておいた方がよいと思っている。そこには、それが好きでやっているという前提が必要ではあるが。

ふと、前からこんなことを考えていたので書いておく。

時間の投下

ここに張り付けた動画を職場の人から教えてもらった。
ここに出てくるお医者さんは有名な方で、以前、情熱大陸にも出ていた。
この動画の中で、この世のすべては時間が形を変えたものという話しが出てくる。
時間をかければ、友達もできる、お金も稼げる、建物も建てられる・・・

その物事に、どれだけ時間をかけられるか、かけることができるかが、それを大きくしたり育てられるかなんだと気がついた。
自身が、高校時代に、インターハイで3位になれたこと。確かにそれなりの恵まれた素質はあったと思う。けれど、間違いなく、同世代の人たちよりも陸上競技に時間をかけた。
学校の成績が良い人は、頭がいいからなのか。きっと違うだろう。その人は、勉強に時間をかけている。そのことに気がつかなければ、人生は動かない。
時間をかける。意識してほしい。