やる気ってどうやったら出るのだろうか?

答え、それはやるです!やらなきゃ、やる気なんて出ません!

高校生の時、学校の成績がすごく良い友達が別にやる気があって勉強しているわけじゃない。でも、やる気はやり始めたら出るんだよ!と教えてくれた。(やり始めたらやる気が出てくるのっては科学的根拠もあるらしい。)

ふーん、そうなんだと思った。(10年後、この時のことを思い出すとはこの時知る由もなかった笑)

今、仕事終わった後練習へのやる気ないですよ。帰って、ご飯くちゃくちゃ食って寝たいわぁ。って思うんよ。でも、ちょっと頑張ってから帰ろう。ほんの30分だけやって帰ろうって決めて練習に行く。しぶしぶやり始めたら、何故かやる気が出て来るんです。気づいたら1時間やってるんだよね。

本当に、やる気ってやったら出て来るんだよね。大学生までは、無尽蔵に湧き出てたんだけど今はもうそんな安定して湧いてこない。やる気に期待していたら週2くらいでしか練習出来なくなる。
やる気は、自ら湧かす。やる気が出るとか出ないとかそんなものに左右されているうちは3流なんだろう。

だから黙って先ずはやれ!ってことだ。(-o-)

大阪へ行って思ったこと。(2016全日本実業団)

今年もまた、全日本実業団へ行って来た。ここ数年、同窓会みたいになっていてそういう意味で楽しみにしているところもある。
このブログでも綴っていたように、7月から気持ちが落ちてしまい、ペラいトレーニングがしていなかったので行きたくなかった。また、ダメな自分を知ることはヘコむからだ。

今日、アップ中ジョグをしながらおれはダメな状態やダメな自分に慣れてしまってないかと考えた。少し前までは、悪いタイムで走ればものすごく反省していたのにその感じ薄れてる気がする。というより間違いないく薄れている。ダメな自分に慣れるってまじでまずい状態だと思う。それって、仕事でも同じことが言えると思う。ちゃんとやらない自分に慣れるって本当によくない。

それでも、行かないと終わるから行って走ってきた。とにかく歩を止めないこと、どんなに小さな歩幅でも止まらないことが大事だと思っているからだ。

14秒75で予選敗退。
うん、うーん。ん!って感じだった。ダメな割に走れたなって思った。本当に、タイムや動きはくずなんだけど自分の感覚は悪くなかった。まだ、やれる感じはあった。だから出て良かったと思った。

残り少ないレースでもう一度走りたいと思う。

どうして陸上競技を続けるのか、また考えてみた。

正直なところ、陸上競技を続けるための努力がつらい。という話を色々な人に話す度に、なんで続けてるの?と聞かれる。いやぁ、もう本当に続けてる意味あるのかって思われるのは普通のことだと思う。

自ら続けてるおれですら、19時に仕事が終わってくそ強い雨が降ってるなかハイクリーンをするためにトレーニングセンターへ向かうことに疑問しか感じていない。

なぜ?って考えると前回までは自分に自信がないとか、誇れるものが陸上競技しかないから心の安定として縋っているとか思っていた。(走ることが好きなのは大前提で)

でも今日トレーニングをしていて、ふと気付いたことがあったというか、思いだした感情があった。おれは、こうやって何かに向かって一生懸命に努力したり、挑戦したりしている自分のことをかっこいいと思うことを。
他の何をしている時でもなく、陸上競技に熱中している自分が一番好きだしかっこいいと思っているのだ。

そういえば、そうだったなって思いだした。なんだ、前向きな感情もあったのだと思うと少し元気がでた。

時々、こういうことを思う。人間はきっと怠惰に生きていたい人なんていなくて皆、努力をしていたいものなんじゃないかと。手抜いたりすると、心が痛むのはそういうことだと思う。

クォーターライフ・クライシス

ここ最近、このブログでも気持ちが落ちてるとか、沈んでるとか気持ちが上がらない内容の投稿が多かった。少しずつよくなってる気がするものの、未だ悩み中である。

今日もまた、いつもの様に練習の帰りに悩んでいた。何なんだろうねぇ、この感じは。なんでこんな感じかねぇ。と思い電車の中で、『20代後半』と検索したら「クォーターライフ・クライシス」なる言葉の記事を見つけた。

この記事によると、人生の4分の1が過ぎた時に訪れる幸福の低迷期のことらしい。アイデンティティーの混乱、間違ったゴール設定、希望の減退…。と書いてあった。

!!!あ、これこの感じだ!めっちゃ共感できる!

簡単に言うと、ある程度の年齢に来て自分の能力の限界が見えてくるこの時期、本当の自分が思う理想と現実のギャップを受け入れられず苦しんでいる状態。だろうか。(詳しくは記事を読んでください)

陸上競技のことも、仕事のキャリアプランにも希望を抱けていないのは正直なところだ。本当に自分が好きなこととか、やりたいこと、望んでいることって何だろうなぁって考える。でも、何かを変えても変え続けてもきっと落ち着くなんてことはないらしい。本当に悩むのは自分の悪癖だと思う。

最近、もっと自分が好きなことを好きと言って好きな物を身につけて、堂々としていたいなんてことを思った。いわゆる、自分らしくってやつ。(・。・)

唯一、自分が間違いなく好きなことは陸上競技だと思っている。まぁ、それすら疑う時があるのだが。このまま黙って、時が経つことで解決するものではないだろうから新しいことをやることにした。それは、陸上競技の指導だ。どういう風にやっていくかは考え中だが、とにかく今までやらなかった指導をやっていく気でいる。(もちろん、プレイヤーも続ける。)

最近、こんな内容の記事ばっかり書いてしまって本来の趣旨からズレてるなと思うが誰かが読んでくれていると思うとくだらない悩みを聞いてもらえているような気がして少し落ち着く。

「クォーターライフ・クライシス」、どうやらこうなることは正常なことらしい。この感じ、おれだけなのか?って思ってたけどそうじゃないことがわかって安心した。これからは、前向きに悩んでいけそうな気がする。

日本インカレ

実は今日、熊谷で行われていた全日本インカレを観に行った。全日本インカレは、大学競技会の中で最も権威のある大会で大学生アスリートは皆これに命をかけてトレーニングを積み挑んでくる大会だ。この大会は、とにかく特別な大会だ。

正直なところ、OBはあまり観に行かない。というか、観に行きづらくて行かない人が多い。自分も行きたいなぁと、思いつつもずっと避けていた。でも、今日久しぶりに観に行って何だか色々なことを考えて色んなことが思い出された。

自分は、結局4年生の一度しか出場できなかった。それでも何とか決勝に残り6位だった。今でも、後悔していることは決勝のレースでいつも通り前半から全力でぶっとばさなかったことだ。何故だか、直前に後半勝負しようと思って前半を抑えた。結果、全ての力を出し切れずに終わった。フィニッシュした後に仲間に話しかけられたが、電光掲示板の結果を観ながらぼーっとしていた記憶が残っている。

その年、自身の大学が総合優勝を果たした。よる、寮でその打ち上げがあったのだが自分の部屋の布団に寝転がったら悔しさや、何かが終わったという悲しさで身体が起き上がらず打ち上げには行けなかった。
その事が、6年ぶりに思い出された。
 
今日、レースを観ていて何かかっこいいなと思った。大学の威信をかけてひたむきに全力で走る姿が。この先の人生で、あの時の興奮を越えるものに出会えるだろうか。たぶん、無理だと思う。あれ以上に真剣に、自身の存在意義をかけて戦う場はないと思う。

ずっと、空いている心の隙間はこれなのかなとか考えた。だとするならば、おれが陸上競技を頑張れば埋められるはずだ。
あの時の自分と比べたら、くそなことをたくさん覚えたと思うし余計なこともたくさんやっている。恥ずかしい。それでも、希望を抱いて日々を生きていけるように努力を続けていきたいと思った。
久しぶりに大学OBがインカレ観たら、打ちのめされるから覚悟して行った方がいいなと思いました。