バリスティックトレーニング(爆発的な筋力発揮を促すトレーニング)

バリスティックトレーニングとは、爆発的な筋力発揮を促す、身につけるためのトレーニングのことだ。

一般的に、ほとんどの競技は、一瞬の短い時間で大きな筋力を発揮しなければならない。短距離走は特にそうだろう。スピードというものが求められる競技はほとんどがそうなるだろう。

競技能力を向上させるためには、筋力の向上は欠かせない。これはもう、絶対条件だろう。ならば、筋力向上させるために、スクワットやデッドリフト、ベンチプレスをやるだけでよいかというとそれでは、それを効率的に競技につなげることは難しい。

向上させた筋力を競技に近い筋力発揮に近づけるために効果的な手段の一つが、バリスティックトレーニングだ。
いくつか、あげてみよう。
メディシンボール投

負荷なしであれば、垂直跳びや立幅跳び。
本当は、動画をもっと載せたかったのだが、ないので今回はこれだけ。また、撮り次第載せます。

どうなりたいかについて考える。

「どうなりたいか?」について考えることが自分の人生の目標を決める上で大切なのではないかと今、考えている。

最終的にどうなりたいか?について何度も考えてみる。
何になりたいか?(職業)は割と簡単にでてくると思う。けれど、何になりたいか?ではなく、どうなりたいか?まで考えることが必要だと思う。自分の人生をより、満足したものにしたいのなら。

何になるか、何の職業に就くかは、どうなりたいか?になるための手段だということだ。職業の選択は、最終的にどうなりたいか?の手段であるという風に考えることができる。

例えば、なりたい自分がお金もちになりたいとする。その場合、公務員ではダメで日本を代表する企業であるトヨタの社員でもダメなのだ。
例えば、安定してお金が入ってきて、家をもち家族を養い、生活していく人生を歩む人になりたいと思うなら、公務員でもいいし、トヨタでもいい。
例えば、広く世の中に影響力を与え、たくさんの人に称賛され社会で活躍する人になりたいと思うならば公務員では難しいし、会社員でも難しいかもしれない。
例えば、経済的にも時間的にも自由を手に入れ、好きな時間に好きなことができる人になりたいと思うならば、公務員でも会社員でも、医者でも難しいだろう。

何になりたいかは、自身の気持ちの表面的な部分の気づきにすぎず、そのもっと奥深くにはそれを通じてどうなりたいか、どういう想いをしたいのかがあると考えている。

自身のことを書くと、自身は陸上競技選手になりたいと思っていた。確かに、走るのは大好きで楽しいと思っている。しかし、中学、高校、大学時代を振り返り、今の自分の気持ちと向き合うとあることに気がついた。自身は、陸上競技選手になりたかったのではなく、陸上競技選手を通じて、多くの人に称賛され、目立ち、優越感を抱き、広く社会に影響力や発言力をもつ人になりたかったのではないかと思った。
だから、陸上競技選手になることが難しいと感じてから競技への熱意が少しずつなくなっていた。
※それでも、陸上競技に携わっているとき、走っているときは楽しいと思っている。

どうなりたいかは、人それぞれ違う。それでいいと思う人もいれば思わない人もいる。自身も明確にこうなりたいを見つけられていない。
まだ、人生の目標や夢をみつける方法はよくわからない。けれど、どうなりたいか?について考えることは大切なことだと思う。

陸上競技選手である自分のその先を考えよう。

陸上競技を始めたのが、中学生。それから高校、大学、卒業後も陸上競技中心の生活を送ってきた。自身の人生において、最も時間をかけ、情熱を注いできたものは陸上競技だ。
高校時代、とにかくインターハイにでたかった。そして、本当に高校生活が終わったら人生が終わりでもいいって思いながら陸上競技に取り組んできた。
しかし、今、30歳を目の前にして後悔していることがある。それは、陸上競技選手としての人生が終わった時のその先を考えようとしなかったことだ。

陸上競技を頑張ることが素晴らしいことだ。足が速くなることは素晴らしいことだと思う。そこから学ぶこと、その先の人生に役に立つことも多くあると思う。しかし、陸上競技選手になりそれで飯が食べられるのは全体の1%以下だろう。つまり、足が速いことはその先の人生では何の役にも立たない。
だからこそ、その先の人生のことをせめて高校生くらいから考える必要があると思う。

人生は終わらせようとしなければ終わらない。競技者としての人生が終わったあとにも、大きな夢や目標をもち、それに向かって努力できる人生にするために、考える必要がある。

そのために、考える第一歩は「どうなりたいか」について考えることだと思う。「どうなりたいか」について考えることを次回は書こうと思う。