ハードリングのコツ ゆっくり動く意識

これまでの自身の経験から、ハードリングのコツというかよい意識は何だろうかと考えたとき、[あえて、ゆっくり動く]という意識をもっていたことに気が付いた。
自身も調子が悪い時は、ついつい110mhのなかでハードリングに意識が向きすぎることがある。レースの中で、ハードリング、ハードリングという意識はあまりよくないと思う。ハードリングに意識が向きすぎると、素早くシュッとハードルを越えようと知らぬ間に動きが小さくなってしまう。そこには、目線が下がってしまうこともあるだろう。
だが、特に調子が良い時はむしろハードリングはゆっくり大きく余裕をもって、空中で溜めていられるような意識でいられるようになる。おそらく、身体の末端部分を素早く動かすと速く動いているような意識がもてるが実際にはあまり意味がなくて、むしろトータルで考えるとマイナスなのかもしれない。
素早く動かそうは、ほとんどの場合、身体の末端部分だけが速く動いていて実際に重心移動などには影響を与えていない。むしろ、そうすることで、動きが小さくなったり、大きな力ができなかったりするのではと考える。
だから、自分はあえてゆっくり動くポイントを置くイメージは、結果、動きを大きくし最大限の力発揮につながると考える。

スクワットを習得する

最近、速く走るためのトレーニングには様々なものがあって何ができるから、速いではないと話した。どれも数ある練習の1つに過ぎない。がしかし、スクワットを習得する、習得しようとすることは走りの本質を突いた練習の一つではないかと考えている。
真剣にスクワットを習得しようと、頑張っていたら走りに変化が現れた。ある日、走りってスクワットの力発揮と似ているなと思った。一回、一回の走りがスクワットを行っているような感覚を得られた。
おそらく、スクワットを習得しようと腰の位置、骨盤の向き、肩甲骨の位置などを細かく調整する習慣が走りの時にも有効に全身の筋の力発揮を行いやすいポジション作りへとつながったのだろう。あと、単純にお尻の筋に力が入りやすくなって、お尻の使い方が上手になった。

おれはこう思う。細かいドリル練習をやるなら真剣にスクワットを習得してみないかと。

短距離選手が長距離走を行うことはあまり意味がない

結論から言うと、長距離選手以外が長い距離を走る練習はあまり意味がないと考えている。
これまで競技をやってきて、そう考えている。
ここで、意味がないと言っているのは一度に30分も走るような長距離走練習を週に3回とか4回やる必要がないという意味だ。
短距離選手でも、ある程度の高い有酸素能力は必要だ。なぜなら、心肺機能が弱いと短い距離のダッシュ練習を何本もこなすことができないからだ。だから、ある程度の有酸素運動はやったほうがいい。

自身は、一回の長距離走は10分程度で十分だと思う。それを週に2回もやれば十分だ。あとは、短距離走の練習をやる。
長距離走が速いことと短距離走が速いことは全く別ではないが、それほど関係がない。ただ、中学生のような専門性が低い段階だと短距離が速い人は長距離も速かったりする。長距離走は短距離選手にとってそれほど必要ないと言っているが、中学生まではしっかりやっておいて損はない。なぜなら、一般的に呼吸循環器系が著しく発達するのがだいたい中学生くらいの年齢だからだ。

結局どっちやねんっていう話しになるが、長い距離は長い距離を走るためのトレーニングで短い距離のダッシュは短い距離のダッシュ力を鍛える練習だということを分けて考えておく必要があるということだ。

陸上競技 トレーニング内容

速く走るためのトレーニングとして、様々なものがある。
例えば、ミニハードル走、いわゆる動きつくりと言われるスプリントドリル、バウンディング、ホッピング、ラダーなど。
最近、思うことはこれらはいくつもあるトレーニングのほんの一つであるに過ぎないということだ。
順天堂大学という様々な種目においてのトップ選手が集まる環境で、多くの選手を見てきたがバンディングが下手でも走ったら速い人もいたし、ドリルができなくてもハードル走の速い人もいたし、腕立て伏せができなくても走ったら速い人はいた。
だから、これができないからよくないとか、直ぐにこれが課題だと思い込まない方がいいと考えている。
できない練習は、数ある練習の一つに過ぎなくて、絶対にできないとよくないなんてことはない。
特に、細かく身体を動かすようなドリル練習はできなくても気にしなくていいと思う。そもそも、自分はドリルが嫌いで苦手だ。それにドリルをやって速くなったという実感がない。だから、自身はドリルを勧めない。
ただ、一度やってみて自身にとってどうなのかということを判断してやるやらないは決めた方がよいだろう。
ようするに、自身にとって良いと思う練習を行うことが重要なのだと思う。